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「ヴィットリオ・ヴェネトのワイン蔵へ乱入」の巻
ベレンダのワイン蔵へ参上

 ヴェネツィアをコルティナの方向へ北上すること60km、ドロミテやアルプスの山並みに見守られるヴェネト平原にヴィットリオ・ヴェネトの町がある。このヴィットリオ・ヴェネト、コーネリアーノ、ヴァルドッビアデーネの三つの町、周囲50kmの三角地帯にヴェネト州の一大ワイン生産地が広がっている。

 耕作面積3500ヘクタールという広大なブドウ畑から産出される白ワインは、プロセッコと呼ばれる発泡性のスプマンテの一種である。イタリアの食卓では食前酒あるいは食中酒として人気が高い。アルプスやドロミテが北からの寒気を遮り、陽光に恵まれるイタリアにはワイン造りに適した場所が随所にある。この地もまさにプロセッコのゴールデントライアングルと呼んでおかしくないだろう。

 ドロミテスーパースキー、チヴェッタトレ・ヴァッリの探索を終え、グランデ・グエッラセッラ・ロンダも完走して、全ての日程をこなした一行は、にわかにワイン探索隊となって、次の目的地ヴィットリオ・ヴェネトのワイン蔵ベレンダを目指すことになった。

 われわれを迎えてくれたのは、ベレンダ社を保有するコズモ家の二代目当主長男ウンベルトと次男のルイジである。ウンベルトは誰かに似ていると思ったが、それが誰かすぐには思い出せなかった。ルイジは洒落たマオカラーのジャケットを着て、二人にはイタリア北部の人間らしく洗練された雰囲気が漂っている。ウンベルトがベレンダのマーケティングを担当して、ルイジがワイン造りを担当しているという。

 コズモ家の先代当主セルジオが一念発起、一家の命運をかけて1987年に始めたのがワインの生産だったらしい。最初の収穫年となった1988年、生産されたワインはわずか8000本だったが、世界のワインマーケットの急成長の波に乗って、10年後ベレンダが生産するワインは60万本を超えるまでの成長を遂げたということである。
左がウンベルト、右がルイジ
バックにワイン畑と教会

次々にプロセッコがボトルへ


 Bellenda社は海抜150m〜200mの丘陵地帯に広がる38ヘクタールの畑から収穫されるブドウでワインを造っている。目をやると、なだらかな曲線を描きながらブドウ畑がうねるように広がり、敷地の中に建てられた教会のまわりには糸杉が植えられ、ブドウ畑の縁にはオリーブが植栽されているというイタリアの正しい田園風景を見ることができる。

 春に備えて休ませているブドウ畑の中へ入りながら、
「ワイン造りは決して楽な仕事とはいえない」
とウンベルトが言う、
「わたしは冬でもブドウ畑の中を歩きまわる」
「フーム、冬でも、、」
「絶えず、休みなくブドウの木に向き合い、その声を聞くために」
「へー、声を聞くために、、」
「いいワインを作るためにはいいブドウが必要だ。そのために自分がブドウの木になるんだ」
「はー、木になる、、、」
「そう。すると自分の傍らで霜のために枯れてしまったオリーブの死を悲しむブドウの木の声が聞こえてくるのさ」
「やー。ウンベルト、あなた、アメリカの俳優に似ているね」
「われわれが霜の害を知らないとね。ロビン・ウィリアムスでしょ、それは」
「そーだ、ロビン・ウィリアムスにそっくりだ」
「よく言われるんだ。似てるって。それで、冬の間、新しい目覚めを待つ間、木を剪定し休ませながら、彼らの声を聞いて歩くのだよ」

 ウンベルトは自分に言い聞かせるように、
「ワイン造りは自然との協働なんだ。いいワインを作るには自然のリズムと表現に調和することが一番大切なんだ」
としめくくるのだった。

 シチリアのノッツエドーロのジュゼッペもそうだったが、彼らは働き者だ。ブドウ畑のかわりに麦畑にしてしまえば断然楽にちがいない。ワイン造りは手がかかるし重労働である。それでも取り組むのは彼らがワイン造りが好きで、注ぐ情熱が並大抵でないからにちがいない。

 ベレンダのウンベルト、ルイジ兄弟や、ノッツエドーロのジュゼッペのような若い造り手が、情熱を燃やしてワイン造りをしている間は、イタリアワインの未来は明るいのではないかと感じられるのだった。
ワインのささやき、ソムリエハラダ

ジジェットのワイン蔵

ワイン蔵でテースティングの準備


 ブドウ畑と工場の見学を終えると、ルイジが
「きょうは、遠い日本から、友人達が訪ねてくれたので一緒に食事をしたい」
と言った。

 隊員達はそろそろ順番からいってテースティングのモードに入りつつあったので、
「え、ここで試飲させてもらえるんではないの」
「いや、友人がやってるリストランテがあるんで、そこでワインも楽しむことにしよう」

 ということで、ヴィットリオ・ヴェネトから10kmほど西へ行ったMiane=ミアーネという村にあるDa Gigetto=リストランテ・ダ・ジジェットへ向けて出発した。ミアーネの村へ到着するや、先ず地下のカンティーナへ案内された。地下の空気はひんやりとして、壁を埋め尽くす棚にはイタリア中のワインが艶然と横たわって微笑みかけているのであった。

 テイスティングに用意されていたのは、スプマンテ三種と白ワイン二種である。

●PROSECCO SPUMANTE BRUT V.S.Q.P.R.D DOC 98=プロセッコ・スプマンテ・ブリュ 98年。

●CHARDONNAY SPUMANTE BRUT V.S.Q. 98=シャルドネ・スプマンテ・ブリュ 98年。

●BELLENDA BRUT METODO CLASSICO 1998=ベレンダ・ブリュ・メトド・クラシコ 98年。

●COLLI DI CONEGLIANO BIANCO V.Q.P.R.D1997=コッリ・ディ・コーネリアーノ・ビアンコ。白。

●PINOT GRIGIO GRAVE DEL FRIURI D.O.C.白=ピノグリッジオ・グラーヴェ・デル・フリウリ。

 惜しげもなく次々に開けられるワインをどんどん飲み干すので、隊員達の頬は朝だというのに紅潮して、カンティーナには幸せ気分が急速に満ち溢れてくるのであった。
生きてここに来られて幸せです。

幸せだと、この人は眠ります

コズモ家のルイジとウンベルト夫妻


 ヴィットリオ・ヴェネトのワイン蔵、ベレンダもミアーネのリストランテ、ジジェットもまたもや、イタリアワイン探索隊の推奨☆☆☆で、もう一度行ってみたいワイン蔵とリストランテにしっかりとリストされてしまった。生涯忘れることのない一日を演出してくれたウンベルトやルイジのようなイタリアーノがいるって、やっぱり、いいなあ、イタリア。

 それにしてもヴィットリオ・ヴェネトは、第一次大戦でイタリアがオーストリア・ドイツ連合軍を打ち破り最終的勝利を収めた地でもある。その戦勝の地となったヴィットリオ・ヴェネトへ、偶然とはいえグランデ・グエッラ(第一次大戦戦跡巡りツーリングスキー)に参戦した帰り道に立ち寄ることになったのも、なにか不思議な因縁というものではないのだろうか。

ウンベルト、コズモ夫妻


リストランテ、ジジェットでサルーテ!


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