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「絶対の調和、トスカーナ」の巻
シエナ、マンジャの塔から見たカンポ広場。
Siena : piazza del Campo

 九月の末にトスカーナを回ってきた。探索隊十九名でトスカーナを旅してきたのだ。9月11日に起こったニューヨーク貿易センタービルへの自爆テロ事件。22日の出発までの10日間、果たして出発できるのか、心中穏やかでなかった。

 探索隊の日程は半年前に決めていた。この時期を選んだのも、ブドウの収穫時期、ワインの仕込みに合わせてアグリツーリズモを体験するためだった。シエナのヴィッラに三泊、サンヴィートに四泊。年間でトスカーナが一番混み合う時期なので、シエナのヴィッラとフィレンツェ近郊、サンヴィートの農園には既に滞在費も払い込んでいた。

 トスカーナはイタリア中部にある州で、州都はフィレンツェである。フィレンツェはルネッサンス=人間復興の中心であり、中世の桎梏から人間を解き放つ原動力となった。人間性を謳歌する力強い文化、芸術を育んだ歴史を有するトスカーナは、今も存在そのものが世界に向けて人間らしさを発信し続ける象徴となっている。

 トスカーナの景観は、ローマ時代を遡るエトルスキの時代から、人々が二千年以上の歳月をかけて造ってきたといわれるだけのことがある。どこを走っても、道すがらに見る景観のどこを切り取っても、ひとつひとつの景色が絶対的な調和を保っているようである。

 トスカーナのなだらかに続く丘陵の、緩やかに弧を描く道を走ると、一枚の静謐な絵の中に溶け込んでいくようである。あるいは、自分が映画のシーンに登場していくような気分、といった方がいいかもしれない。

 トスカーナの中でシエナはフィレンツェと長く覇を競ってきた。シエナの街全体が中世の趣をそっくり残して、フィレンツェほど大きくない分まとまりがいい。シエナには何度も来たが、イタリアスキー探索隊を始めてからは、なかなか機会がなかった。

 シエナの夜のしじまを破って轟き渡る大音響に、時差のためただでさえ浅い眠りが覚醒されたが、打ち鳴らされる大太鼓のようだと思ったのは雷鳴なのであった。雷鳴の他に周囲で聞こえる音が、宿泊したヴィッラ・パトリッツイアの庭園の木々や、建物に打ちかかる雨の音だと気付くのは暫くしてからだった。

 雷鳴と局地的に時折降る豪雨さえもが、晴れの時ばかりではない特別な舞台を、しつらえてくれるかのように思えるのであった。こうして、誰が来てもトスカーナは、人々を感嘆と賞賛の渦に投げ込んでしまうのかもしれない。

 翌朝、夜の間降った雨でシエナの街と石畳はしっとりと濡れ、一層落ち着いた雰囲気だった。シエナの中心はカンポ広場(Piazza del Campo)。中世に造られた市庁舎とマンジャの塔と広場が作り出す空間は絶対の調和だと思える。
シエナにもローマと同じ狼の守護神が

イタリア有数のシエナの銀行、
Monte dei Paschi di Siena

シエナで有名なナンニーニ家が経営する
Bar Nanniniのお菓子


シエナ、マンジャの塔のうえにある鐘楼。おおきい:Siena Torre del Mangia

シエナ、マンジャの塔からドゥオーモ方向を望む:Siena Torre del Mangia

シエナ、マンジャの塔からドゥオーモ方向を望む:Siena Torre del Mangia

 二日目の朝、豪雨の中をモンテプルチアーノとモンタルチーノのワイン蔵へ向かう内に、朝は曇っていた空も晴れてくる。だが、夕方モンタルチーノからシエナへ戻り、カンポ広場まで来ると、再び雨足が強まってきた。軒先で一時雨宿りしたが、勢いは一向に弱まる気配がない。その内、夕食の時間が来てしまったので、諦めてレストランへ向かうことにした。

 カンポ広場を横切ってマンジャの塔の前を通り左へ曲がると登り坂になっている。激しく降る雨が坂を流れ下ってくる。まるで川のような勢いに、着ているものも、靴の中もあっという間に水が浸潤してくる。

 誰かが、カンポ広場は集水器なんだ、と言うのが聞こえた。なるほどそうなのか、と納得しながら坂を登り、逆流する水を蹴散らしながら食事に向かう。ズブ濡れもまた、旅なのだ。

 遙かな時を経たにも関わらず、まったく変わらぬ佇まいで迎えてくれたカンポ広場やマンジャの塔。塔へ登って見下ろす町並みも、遥延と見晴るかすトスカーナの起伏も、変わらぬ調和を見せているのであった。

 変わらず、変化しないということは、日本やアメリカ的価値からすると停滞であり停止なのだろうが、シエナやトスカーナやイタリアの町は一向に意に介さないようだ。どころか、正反対の価値で自らを律しているように思える。

 めまぐるしい変化よりも落ち着いた時間や空間が何よりのこちらは、シエナに限らず昔ながらのもの、変わらないものには心が落ち着く。高層ビルが建ち並ぶ新宿とかも、できるだけ足を踏み入れないようにしている。

 人は出来れば余計なものを造らず、最低限の物だけで自然の中に暮らすのが一番である。余計な物を造って自然を破壊するなど、しないに越したことはない。トスカーナは無言のうちにそう主張しているように思えてくるのであった。
カンポ広場がアーチの向こうに見える

Torre del mangia マンジャの塔と市庁舎


シエナの象徴カンポ広場 Siena piazza del Campo

シエナの象徴カンポ広場 Siena piazza del Campo

    
 急速な秋の深まりがトスカーナの空気の彩りを見事に変化させつつあった。訪れたキアンティ、モンテプルチアーノ、モンタルチーノ、サンジミニャーノ、ピサ、ルッカ、フィレンツェの空気が、心の平安を呼び戻してくれた。

 正直に言うと、こんな時期に自分たちだけが、探索隊と称してイタリアへ行ってもいいのだろうかとも考えた。隊員たちの胸の内にも恐らく同じ思いがあったはずだが、トスカーナへ来てよかったと今にして思う。

 かえって、こんな時期だからこそ、行くことにしてよかった。航空業界もスキー業界も平和があってこそ成り立つ産業である。戦渦が世界を覆っている時に旅行する者などいない。あらゆる戦争に反対する所以である。

 平和が乱されているから、それを取り戻すための戦争なのだと言われているが、戦争において目的が手段を正当化することはない。戦争を遂行しようとする者は誰しも、目的として正義の実現を掲げ、手段としての戦争の正当化を唱えるものだからである。

 中東やアフガンに深く関わってきたアメリカの目的は、中東や中央アジアの石油と天然ガスであり、戦争はその権益を守ろうとする政治経済的行為の延長である。

 国そのものが戦場と化し150万もの戦死者を出したアフガニスタンの荒廃は、英米露大国の利権を巡る争いによってもたらされた。だからと言って、モスリムの自爆テロは許されない。報復のためのアメリカの戦争も解決にはならない。お互いに、目的が正しければ達成するために何をしてもいいということではないからだ。

 アハメド・ラシッドの「タリバン」によると、「豊かな国々のなかで日本は、汚点がない不干渉の対アフガニスタン政策を維持してきたため、すべてのアフガン各派から、紛争の調停者として最も中立的な国だと見なされている。この地域の人々は、アフガン内戦終結のために日本がこれまで以上に大きな役割を果たすよう望んでいる」とある。旗を見せろと言われたとかで、行け行けどんどんで海外派兵することなど、その期待に応える道ではないと思うのである。
大理石の白と濃緑色が映えるドゥオーモ

シエナのドゥオーモ Siena:Duomo



シエナのドゥオーモ Siena:Duomo

シエナのドゥオーモ ファッサード Siena:Duomo。Siena Piazza del Campo

シエナのあとキァンティのレストランで昼食


キァンティのレストランで昼食。シエナ、トスカーナ風の前菜。まだまだこのあとどんどん続きます


シエナ、トスカーナ探索隊。このあと続きます

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