トップページへ
COLUMN
イタリアスキー探索隊
イタリア探索マップ
ドロミテ探索隊
アオスタ探索隊
シチリア探索隊
トスカーナ探索隊
南イタリア探索隊
イタリアワイン探索隊
イタリアに行くならご用心!
コラムバックナンバー
日本国探索隊
探索隊写真館
探索隊お勧めレストラン
探索隊に参加する

「イタリアスキー探索隊2005年は何処へ」の巻

 縁とは不思議なものである。2005年を迎える今シーズン、イタリアスキー探索隊はついに結成十周年を迎えることになったのである。多くのひとがこうした節目に、苦節十年とか言うものだが、探索隊に限っては極楽浄土をたゆたい天国を逍遙するような十年であった。

 そもそも事の始まりは1996年2月のことだった。たまの休みにイタリアでも行ってみるか、と思っていると、イタリアスキークラブのコルティナダンペッゾとヴェネツィアにお呼びがかかったのである。コルティナを滑り、アラッバからセッラ・ロンダが体験できるというので、渡りに船と参加してみると。

 人の世話するのがそれなりに楽しいことを発見したのである。なにしろ、こんな自分でも人様のお役に立てるのだ。イタリアスキーの紹介と、スキーツアーを送り出す仕事に関わってきたので、イタリアスキーの研修旅行にも何度も同行してきたが、それとはまったく違った体験に思えたのだった。

 ほとんどが本誌のイタリア紹介の熱心な読者だったのが幸いしたにちがいない。それに、96年2月24日〜3月3日も毎日が快晴だったし、ドロミテの真珠コルティナとアドリア海の女王ヴェネツィアという舞台も最高だったのだ。

 十年以上にわたるイタリアスキーの広報活動で、イタリア語ができてイタリア旅行につきもののトラブルや問題を解決できて、スキーが滑れる人材というのは、おいそれとは見つからないということを実感していた。

 そんなときにイタリアで滑りたいスキーヤーと直接遭遇して、自分が率いるイタリアスキーをやってみる可能性に目覚めたわけなのである。探索隊発足という不思議な縁をコルティナが取り持つことになったのである。

 探索隊はこの十年に、コルティナを皮切りに、アラッバ、コルヴァーラ、プラン・デ・コロネス、アルタバディーア、チンクェ・トッリ、ラガッツオーイ、ヴァルガルデナ、チヴェッタ、トレ・ヴァッリ、マルモラーダ、ヴァッレ・イザルコ、アルタ・プステリーア、ヴァル・ディ・ファッサ、ヴァル・ディ・フィエンメ等ドロミテスーパースキーを次々に踏破してきた。

 そのほかにも、マドンナ・ディ・カンピリオ、チェルヴィニア、クールマイユール、ピーラ、ボルミオ、リヴィーニョ、サンタカテリーナ、セストリエーレ、サンシカーリオ、クラヴィエーレ、モンジネーブル、ヴァレー・ブランシュ、ラトゥイール、と名だたるスキー場は殆ど制覇してしまったことになるのである。


 2005年はイタリアを滑って25周年でもある。私的なことで恐縮だが、1980年にドロミテブレンタのフォルガリダでスキーを履いてから、25年の歳月が経ったわけである。私的ついでにもうひとつ、35年勤めたアリタリア航空の定年を来春迎えることにもなるのだ。

 入社するとき「三年もてばいいか」と軽い気持でいたのに、あっという間に三十五年である。イタリアのイの字も知らずに飛び込んだ世界で、思えばよくぞ続いたものである。

 この十年はもっぱら隠し身の術を駆使してきた。いるんだかいないんだかわからないというようになるには、それなりの修練を積まないといけません。仕事しているようで遊んでいる。遊んでいるようなのに仕事している。

 仕事が遊びに、遊びが仕事になるような環境を構築するには、人知れぬ努力とまわりの協力と忍耐が必要だということなのである。これは誰でも達成できることではない。それなりに胆力がなければ成し遂げられない。そりゃそうですよね。見てお分かりのように、また書き連ねている自分も呆れるほどに、休んではイタリアへ出かけているのでありますからね。

 1997年から始めたこの連載も、いつの間にやら八年目となり86回を迎えている。自分では好評連載中と言っているのに、編集長からは何度も打ち切りを勧告された。それでも、聞こえない振りをして締め切り前に送稿し、連載を休んだのは〆切と探索隊日程が重なった一度だけという執念を実らせたのである。

 最近ではあきらめたのか、なにも言われないが、こうなると編集部のあきらめと読者の期待に応えるために、連載百回はなんとしても達成しなければ申し訳が立たないだろう。


 2 かくして、世界最大スキーエリア「ドロミテスーパースキー」完全制覇へもあと一歩となったわけである。これまでドロミテスーパースキーの12エリアを探索し続けてきたが、残るはついにドロミテスーパースキー、9番サン・マルティーノ・ディ・カストロッツアだけとなってしまったのである。

 サン・マルテイーノ・ディ・カストロツッアは 3000m級のドロミテ特有の切り立った針峰が三座、2700〜900m級が六座という巨大な岩峰群からなるグルッポ・デッレ・パレの山麓に展開するスキー場である。

 行ったことも通りかかったこともないが、今やスキー場の地図や資料を見るだけで、景観を思い描き標高差からスキー場の規模を読みとれるようになったのである。ここには他のエリアに引けを取らないスケールがあるという直観に誤りはないだろう。

 総滑走距離60km、内55kmのピステには人工降雪機が敷設され、総標高差8,300mを誇っている。ドロミテエリアの中では最も南に位置し、ドロミテスーパースキー8番ヴァル・ディ・フィエンメのプレダッツォ(1018m)からパッソ・ローレの峠を越えたところにある。

 行こうと思えば行けたのだが、今シーズンのためにとっておいたのである。2005年3月には、ドロミテスーパースキー最後の未踏の地サン・マルテイーノ・ディ・カストロツッアに足を踏み入れることになるのだ。ついでに、パッソ・ローレを北へ越えて、プレダッツォへも足をのばすことになるだろう。

 その前、年明け早々には、関戸章仁や他の隊員たちの要望が強いマドンナ・ディ・カンピリオへ再度探索してみることにした。97年以来のマドンナをもう一度をこの目と足でしっかりと刻み込んでイタリアを滑って25年、探索隊結成十周年を祝うつもりなのである。





PAGE TOPに戻る
バール掲示板
リンク
サイトマップ
プロフィール
トップページへ