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「セストリエーレ、ヴィア・ラッテア総延長400kmに再挑戦」の巻
クラヴィエーレ、イタリア、ピエモンテ、ヴィア・ラッテア
Claviere, Via Lattea, Piemonte , Italia : Marzo 2004

イタリア、ピエモンテ州、セストリエーレ、スタートの朝
Sestriere , Piemonte , Italia : Marzo 2004

イタリア、ピエモンテ、セストリエーレの全景、06トリノオリンピック会場
Sestriere , Piemonte , Italia : Marzo 2004

 2006年冬期オリンピック開催地、セストリエーレはイタリア北西部ピエモンテ州のスキー場である。トリノがピエモンテ州都なので、トリノオリンピックとなっているが、競技はピエモンテの山中で行われる。

 ピエモンテの語源はピエディ(脚)とモンテ(山)からきていて、山の脚部を意味している。ピエモンテはその名のとおり、イタリア・アルプスの懐に包み込まれた山岳地帯なのである。

 ピエモンテ州は北側でヴァッレ・ダアオスタ州とスイスに接し、西側はアルプスを挟んでフランス、南側もアペニーニ山脈と、三方を山に囲まれている。ポー川流域の東側だけには、ミラノへ向かう大平野が広がっている。

 ワールドカップが毎年開催されるセストリエーレは、ピエモンテ州の代表的なスキー場のひとつであり、2004年はシーズン最終戦が3月10日から14日まで開催された。

 セストリエーレの街は標高2035m。スキー場は、モンテ・シーセス(2658m)とモンテ・バンケッタ(2823m)の山麓に展開している。標高差1800m。滑走可能距離120kmという規模を誇っている。しかし、それだけで終わらないところが、イタリアスキーのスケールの大きさなのだ。

 実を言うとセストリエーレは、ヴィア・ラッテアと総称されるスキー場群のひとつに過ぎない。他にもサンシカリオ、チェザーナ、サウゼ・ドール、クラヴィエーレ、フランスのモンジネーヴルがヴィア・ラッテアに属している。滑走距離総延長は400kmにもなるのである。

 ドロミテスーパースキーやアオスタ・スキーパスもそうだが、イタリアでは共通パスを一枚購入すれば、いっさい追加料金なしで広大なエリアを滑ることができる。ヴィア・ラッテアも五つのスキー場を一枚のスキーパスで滑走可能にするスキーパスシステムなのだ。それにしても、連絡バスも使わず400kmも滑れるって、さすがイタリアである。


イタリア、トリノオリンピック会場となるセストリエーレ
Sestriere , Piemonte , Italia : Marzo 2004

イタリア、ピエモンテ州、セストリエーレ、サウゼドール
Sestriere , Piemonte , Italia : Marzo 2004

 セストリエーレのスキー場は、スキー場前の中央棟に、必要な全てが集中する設計になっている。スキーヤーはここからリフトに乗って滑り始め、終われば建物の前まで滑って帰って来られる仕組みなのだ。

 スキーパス、レンタル、スクール、デポジットが一ヶ所にあるので、デポジットで板を取って外へ出ればゲレンデ。帰るときはカギ付きのスキーホルダーに収めるようになっている。チューンアップに預ければ、翌朝、整備された板が待っていてくれるのも実に快適である。

 今回宿泊したホテル・ミラモンティは、スキー場から徒歩7〜8分の距離であるが、ホテルの前にスキーバスが停まるので歩く必要はない。スキー場からも広場からバスで帰って来られるようになっている。

 ミラモンティは地下二階にスキー保管のストレージがあるだけで、外部から直接入れるスキーデポジットがなかったが、考えてみれば、宿泊客はスキー場にスキーを預けられるのだから、必要がないわけである。

 街もスキー場の開発と同時に造られたのでシンプルで分かりやすい。スキーのために設計開発されたセストリエーレは、滑り出せば変化に富んだスロープとコースが延々と続き、飽きることがない。スキーヤーにとってはこの上なく滑り応えのあるスキー場と言えるだろう。


イタリア、ピエモンテ州、サウゼドール、
Sauze D'Oulx , Piemonte , Italia : Marzo 2004

サウゼドール、イタリア、ピエモンテ、ヴィア・ラッテア
Sauze D'Oulx ,Via Lattea, Italia : Marzo 2004

 2004年2月最後の週、イタリア北部は豪雪に見舞われていた。アルプスやドロミテばかりでなく、ボローニャやトスカーナも、交通が麻痺するほどの大雪が降ったのだ。二月最終土曜日、全山制覇の野望を胸に秘め、探索隊は静かにセストリエーレへと旅立った。

 セストリエーレを基点に、初めてヴィア・ラッテアを探索したのは98年のことである。毎日朝八時半から夕方六時まで、まる五日間滑ったのに、遂にモンジネーヴル(仏)を走破することができなかった。今回は再挑戦である。

 初日、二月二九日は、サウゼドールを滑ることにしていた。セストリエーレのハードバーンをいきなり滑るのもキツイだろうし、長旅のあとは睡眠不足と時差で疲労が溜まっている。先ずはゆっくり足慣らしと思っていたら、ワールドカップコースは滑らせてくれないという。

 セストリエーレは翌週からのワールドカップ最終戦に備え、大回転、回転、滑降のコースには既にネットが張られていたのだった。一般スキーヤー立入禁止のバーンでは、軍隊がせっせと整備に励んでいる最中なのであった。

 最初に二本だけ、Tバーリフトに乗ってみた。調子はよさそうだ。セストリエーレとサウゼドールを繋ぐテレキャビン目がけて、一気に滑り降りていく。誰も滑った痕跡がない朝一番のピステ。長旅の疲れは消し飛んでしまった。

 サウゼドールは基点の村で標高1509m、山頂部は2507mである。標高差1000m、滑走距離130kmのスキー場はセストリエーレよりも大きいくらいだ。山頂部は開放的なアルプスの山並みに中級斜面が無数に設えられ、滑るにつれ下部に広がる林間コースへと導かれていく。

 至る所にオフピステが存在し、リフト待ちではボーダーも目立つが、広大な斜面はその存在を忘れさせてしまう。一行はサウゼドールをゆっくりクルージングしながら、徐々に調子を整えていくのであった。

 午前中三時間、休憩なしで足慣らしに専念。昼に差し掛かって、ピアン・デッラ・ロッカのレストランで昼食。山小屋とはいえ、ズッパ・ディ・ヴェルドゥーラの味は、探索隊推奨の☆☆☆なのでありました。

 午後三時半まで快調にサウゼドールを滑った一行の意気は軒昂であった。この分でいけば、全山制覇も夢ではない。セストリエーレ110km、サウゼ・ド ゥール130km、サンシカリオとクラヴィエーレを合わせて110km。それにモン ジネーブルを加えて400kmと、次々に現れるピステを走破し続け、全山制覇を成し遂げるのだ。

 イタリア北部の悪天候を考えると悠長にはしていられない気がした。もし明日、目が覚めて晴れていたら、モンジネーブルまで一気に滑ってしまおう。隊長の腹は決まっていた。身体の奥で、全山制覇の四文字が音もなく燃えているのであった。



サウゼドール、ピアン・デッラ・ロッカで昼食。
Sauze D'Oulx , Piemonte , Italia : Marzo 2004

サウゼドール、イタリア、ピエモンテ、ヴィア・ラッテア
Sauze D'Oulx , Piemonte , Italia : Marzo 2004

サウゼドール、イタリア、ピエモンテ、ヴィア・ラッテア
Sauze D'Oulx , Piemonte , Italia : Marzo 2004


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