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「スキー天国イタリア」の巻

 ローマ空港で出会った真っ黒顔の男、岡戸正人は現在、志賀一ノ瀬のビアンカスキースクール校長である。78年夏、マルモラーダへやってきた岡戸は、その次の夏もイタリアへやってきた。今度はトナーレスキー場である。

 イタリアは日本に勝るとも劣らない山国である。北はオーストリア、スイス、フランスとヨーロッパアルプスを挟んで国境を接している。アルプスの向こう側は三国で分け合っているのに、南側はイタリアが独占。万年雪を頂く3000mを超える山々を、贅沢にも独り占め状態なのである。

 ミラノを州都とするロムバルディア州もスイスと国境を接している。つまり、アルプス山脈の稜線を国境としているくらいだから、名だたるスキー場がいくらあっても、全く不思議ではない。ちょっと挙げるだけでも、パッソ・ステルヴィオ、リヴィーニョサンタカテリーナ、アプリカ、パッソ・トナーレ、いずれも名高いスキー場がすぐに浮かんでくる。

 トナーレミラノから179km。ベルガモまでアウトストラーダ(高速自動車道)A4で行き、SS42に乗ればポンテ・ディ・レーニョスキー場まで一本道である。そこを更に上って行けばパッソ・トナーレの村がある。峠の向こうはスイスである。

 村からパッソ・パラディーソ〜プレセーナ〜パッソ・プレセーナと登れば、そこにプレセーナ氷河のスキー場が人知れず、優雅に広がっている。あっけないほど簡単だが、ゴンドラ一本にチェアリフト2本で、3016mの高度である。村は1883mだから高度差はなんと1133mもある。滑走可能距離はトナーレだけで55km。ポンテディレーニョを加えれば70kmとなる。

 岡戸が行ったトナーレの氷河のスキー場とは、このプレセーナ氷河のスキー場なのであった。いずれにせよ、20年も前にはるばると、この地を訪れた岡戸正人のパイオニア精神は称賛に値するだろう。
こんなことを言うと、「いやぁ、わしゃ、なんもわからんで、とにかく、イタリアイタリアと行っただけですワ」と
本人は韜晦するだろうが、改めて、ここに敬意を表し、書き記しておきたい。

 でも、まあ、イタリアに行けば、滑走距離100kmぐらいのスキー場は何処にでもあるんですワ。ホントに。


 言われて見れば成る程と思うのに、イタリアが山国でアルペン王国でスキー天国だという簡単な事実が、なかなか浸透しないのは、殆どの人が、イタリアがスキー天国という事実に、価値を見ないからであろう。

 イタリアは元来、日本の公教育の中で「歴史と太陽と海の国」として定義され位置づけられてきた。一方、企業としてのメディアは多数が求め、売れる情報を商品化し金にしようとする。だから、売れないものには目を向けない。

 ちょうど、この原稿に取りかかっている今、世界中のテレビでダイアナ妃の葬儀の模様がが放送されているが、ダイアナ報道はその極端な例である。人の写真を撮って売り込むパパラッチがいて、写真を掲載して売る雑誌社があって、買う人間がいる。核心は、この構造の中でダイアナ妃が死に追いやられたと言う事実である。

 誰も言わないので、この際だから、言っておこう。いくら市場経済だ自由主義だと言っても、売れれば何でも商品化するのは間違いである。買う奴がいるからといって、売ってはいけないものがあるのだと銘ずべきである。

 さて、イタリアだが、この20年というもの、ファッションだ、デザインだ、へちまだ、グルメだ、鰯の頭だと、人々の価値は細分化し、関心の所在もますます分散化するばかりである。しかし、そうなると逆に、イタリアは焦点を当てることが多すぎて、なかなかスキー場までスポットが当たらない。

 しかし、それはイタリアにとっても、私たちにとっても幸いなことなのかもしれない。


 マドンナディカムピリオへ行った今年の一月、ミラノ行きの機中で20歳前後のお嬢さんが、隣の席に座った。彼女は、女性誌を分解したページや、切り抜きをどっさりとクリアファイルに入れて抱えている。後ろに座った連れと、どれを買おう、欲しいのが買えるだろうかと、飛んでる間中話している。

 つい、こないだまではエルメスだルイヴィトンだと騒いでいたのに、この数年はグッチ、フェラガモが再び隆盛、中でもプラダの進撃はとどまるところを知らない。あんな黒や茶の、つるつるナイロンバッグやザックのどこがええんじゃとこちらは思うが、あちらはそうはお考えにならない。

 プラダ求めて三千里、マルコならぬ大和撫子は今日も行く。ちょっと渋谷に買い物ふうのかっこして、こギャル、ちゅうギャル、うばギャルの連合軍は、ローマ、フィレンツェ、ミラノは言うまでもなく、私だって聞いたこともない、モンテヴァルキなんて町にさえ、敵中深く大挙して進撃するんですぜ。

 聞けば、トスカーナのMontevalchiには、プラダの工場があるとかで、駅前にタクシーが5台しかない(これもそのお嬢さんが教えてくれた)人口2万の町の工場前に、早朝の朝もやの中、どどーっと東洋女性が行列するらしいのである。

 侮り難し日本女性。こちらが茅ヶ崎あたりで、目玉商品を買おうと10時開店のダイクマの前で並んでいる時に、ギャル達は遥かイタリアのモンテヴァルキのプラダの工場の前に並んでしまうのである。

 というわけで当分の間、グルメだのアウトレット情報にスポットが当たっても、イタリアのスキー場には、ちっともスポットが当たらないと言う状態は続くだろうから、かえって私たちは安心できるというものである。

 しばらくの間は荒らされることもない、手つかずの桃源郷が保証されたようなものだからである。


「イタリアはいいですわぁ。スキー場は最高だし、飯は旨いし、人間は親切だし、スキーはやっぱりイタリアですワ」
相変わらず真っ黒顔した岡戸正人は、飄々として爽やかで、
「イタリアに住んでるなんて、ホント、うらやましいですワ。こんなええとこに暮らしとって、スキーしないなんてもったいない。早いとこスキー始められたほーがええですヨ」
 そう言い残すと再び東京行きの機中へ乗り込んで行った。

 79年の夏の暑い盛りのことで、スキーを始めようと直ぐには思わなかったが、気づかないうちに、何かが確実に自分の中に芽生え始めていたのだった。そしていよいよ80年1月にスキーを始めることになる。世界は音もなく静かに転回しようとしていた。

 だが、そのことを当時は知る由もなかった。一生スキーをすることになるなんてことは考えてもみなかったのである。




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