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「ドロミテスキー、ヴァル・ディ・ファッサからヴァル・ディ・フィエンメへ」の巻
イタリア、ドロミテ、ヴァル・ディ・フィエンメ、グルッポ・デル・ラテマール
Latemar, Val di Fiemme Dolomiti Italia : Jan 2004

イタリア、ドロミテ、ヴァル・ディ・フィエンメ、プレダッツォ
Latemar, Val di Fiemme Dolomiti Italia : Gennaio 2004

イタリア、ドロミテ、プレダッツォ、ラテマール
Latemar, Val di Fiemme Dolomiti Italia : Gennaio 2004

 晴れ渡る空とはいかないまでも、昨晩からの雪は嘘のようにやんでしまった。ライトに照らされ舞う雪眺め、うなだれていたのが、コロリ一転。「近場で足慣し」から「完全制覇」へと甦るや、キッパリとガイドのワルターに言うのだった。
「ワルター、きょうは、ヴァル・ディ・フィエンメを滑ることにしたぞな、もし」
「ヴァル・ディ・ファッサは滑らんのか」
「そう、雪やんだし、行ったことないとこへ」
「行きたいというわけね。OK!問題ないさ」
「じゃが、昨晩着いたばかりだし。プレダッツォとカヴァレーゼのどちらがエエかのぉ」
「どちらでもいいけど、近いしプレダッツォがいいんじゃない」
「ドロミテスーパースキー8番はこれでよし」
「ン?ラテマールのスキー場なんだけど?」 
「んにゃ、いいんだ。それはこちらの話」

 ドロミテの住人たちには、プレダッツォはラテマールのスキー場という認識しかない。スキーマップに付いているドロミテスーパースキーの番号なんぞ誰も気にしていない。未踏だの制覇だのと騒いでいるのは、世界広しといえ探索隊ぐらいのものなのだ。

 ワルターは生まれも育ちもヴィーゴ・ディ・ファッサ。親父さんは、ヴィーゴのスキースクール校長をしている。息子のワルターは昼間スキースクールを手伝い、夜は自分で経営しているパブを仕切っている。忙しいのだ。

 忙しいと言えば、スキーシーズンはドロミテ一帯が忙しいわけで、ヴァル・ディ・ファッサも例外でない。というより、ファッサは滅茶苦茶繁忙期の真っただ中なのである。なにしろ、人口八千人に対して、四万人を越えるスキー客が押し寄せてくるのである。

 全長20kmちょっとのファッサ渓谷に五万人の人間がひしめいている。それが、てんでに飲んだり食ったり滑ったりしているのだから、ただごとは言えないだろう。今のところこの人たちが、一斉に並んだり行列したりする様子はないが、もし、何かがあって並んでみろということになったら大変である。

 いったい、どうなってしまうのか。というと、1kmあたりに2500人がひしめく状態が出現することになるのだ。モエナ、ヴィーゴ、ポッツァ、カナツェイ、カンピテッロ、ペニアまでのファッサ渓谷20kmの端からはしまで、ずーっと1mごとに2.5人、2mおきに5人が立ち並ぶことになってしまう。

 その連中(自分たちもなのだ)が、好き勝手に、オレはビール。ワタシはワイン。ワシャ酒はダメと、あれこれ我がまま言うんだから、ワルターたちも必死になっている状況なのである。というわけで、この時期のファッサ渓谷は、超書き入れ時となってしまうわけなのであった。


イタリア、ドロミテ、ヴァル・ディ・フィエンメ、ラテマール
Latemar, Val di Fiemme Dolomiti Italia : Jan 2004

イタリア、ドロミテ、ヴァル・ディ・フィエンメ、ラテマール
Latemar, Val di Fiemme Dolomiti Italia : Gennaio 2004

 プレダッツォはオーラから走ってきたドロミーティ街道の途中にある村だ。ヴィーゴからだとファッサ渓谷をモエナへ戻り、フィエンメ渓谷へ入った直ぐ隣である。

 クルマで走って30分。距離にして18kmほどのところに、未踏のドロミテスーパースキー8番が待っている。立ち直った隊長と一行はプレダッツォへと先を急ぐのであった。

 プレダッツォへ近づくと、ドロミテ街道の上を横切って登る白いテレキャビンが見えてきた。車が停まると、スキーパス、レンタル、スクールのサインボードのかかる集中棟がある。白い壁にはラテマール2200、50kmの字が鮮やか。

 テレキャビンでプレダッツォ(1018m)から一気に、グルッポ・デル・ラテマール(2846m)の尾根、針葉樹林帯を登っていくと、縦横に連係する滑走距離35kmのスキーエリアが広がっているのだった。

 なにしろ、グルッポ・デル・ラテマール=ラテマール山群である。ドロミテの岩壁がいくつも連なる山群なのだ。その山麓、標高1550m〜2200m一帯に、テレキャビン、スキーリフトを18基架けて、総標高差5080m、総滑走距離35kmのスキー場にしてしまったのである。

 「スキーセンター・ラテマール」を冠するスキーエリアは、ラテマールの北側からカティナッチョ山群の北端、コスタ・ルンガ峠のオベレッゲンまで続いているのだから驚きである。

 それからというものは、切れ目ないピステを上っては滑り、滑っては登るの繰り返し。「初日だし、のんびり、ゆっくり滑りましょう」は口先だけ。誰かに「と、トイレ休憩お願いします」とか言われるまで全然休まない。全くヒドイ人になってしまうのであった。



晴れ渡る空とはいかないまでも

子供の頃から雪に親しむ

 一体、いつからこうなってしまったのか。昔はこうではなかったはずである。確か「滑るより飲んだり食ったりしている方が長い」と言っていた筈なのに、近頃どうも変なのである。

 本人も気付かぬ内に、頭の具合がおかしくなるということはよくあるらしい。そう言えば、最近書くものには「全山制覇」だとか「ドロミテ完全制覇」などと、温厚な性格からは考えられない攻撃的な表現が踊っている。

 もしかしたら、頭だけでなく体の具合も変調をきたしているのかもしれない。ヘボイと酷評されたスキーが、上手くなってしまったのもそのせいではないだろうか。

 イタリアで一緒に滑った本間綾美が「これ履いてダメならスキーあきらめた方がいいかもね」と、プレゼントしてくれたカービングスキーの霊験はあらたか。今では目白「銀嶺」の木村孝司が見立てたVolklの板とLangeのブーツを、「いてて、足が」とボヤきつつも、乗りこなすまでになったのである。

 他にも、やたらスキーの指導員級が探索隊に加わってきたせいもあるかもしれない。イタリアにまでスキーしに来てるんだから当たり前なのだろうが、困ったことに、彼らはどこへ行っても滑りたがるし、なにしろ早い。

 もっと困ったことに、急な斜面と見ると目の色変えて飛んでいく。いや、おっかない。そんな隊員達に「もう少し右腕を前に」とか「足首もうちょっと曲げて」とか言われながら、毎シーズン300kmも滑るのだ。なんだか休んでいては申し訳ないというようになってしまったのが、ぬぬぬ、なんとも不思議なのである。



どこまでもドロミテ、ヴァル・ディ・フィエンメ

雪に降られることもなく快適であった
Latemar, Val di Fiemme Dolomiti Italia : Gennaio 2004

ドロミィティを滑る スキーヤー 秋山真太郎 海保和志
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