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「年金ミラネーゼ・ジャンニと猪谷千春」の巻
ドロミテスキー探索隊、セッラ・ロンダ、セッラ山群、
Dolomiti, Gruppo del Sella :Jan 2003

サッソルンゴとセッラ山群、ベルヴェデーレからの眺め 
Sasso Lungo e Gruppo del Sella, Dolomiti :Jan 2003

サッソルンゴとセッラ山群、ベルヴェデーレからの眺め 
Sasso Lungo e Gruppo del Sella, Dolomiti :Jan 2003

 旅は思いを残して帰ってくるのがいい。残る思いがあるのでまた旅に出る。いずこにせよ居続けてしまえば、それは日常となり、心躍ることもなくなってしまうにちがいない。

 03年1月のドロミテ探索隊は、滞在中連日晴れ渡る幸運に恵まれた。初日も二日目も快晴。三日目の朝は薄曇りだったが、午後には太陽が顔を出す。四日目も同様、夕刻に少し曇って心配したが、五日目は持ち直して、またも快晴。いつでも晴れるイタリアスキーの看板通りとなった。

 おかげで毎日朝食は七時半、終わったらすぐ出て、暗くなるまで滑る強化合宿状態。ドロミテを庭にして悠々自適の年金ミラネーゼ・ジャンニの先導で、アルタバディーア、コルフォスコ、ヴァルガルデナ、コルティナ、マルモラーダと予定していたスキー場は、すっかり滑ってしまったのである。

 マルモラーダ遠征も無事に終えたことだし、自由行動の最終日は、のんびり写真でも撮りに行こうと思っていたら、食事の時にジャンニが言う。

「明日はどうするつもり」
「自由行動にしようか、と思ってるんだけど」
「最後なんだから、一緒に滑りに行こう」
「オイラはヴァルディファッサに、写真撮りに行きたいんだけどさ」
「オ、いいじゃない、みんなも誘ってみたら」

 探索隊のアラッバ滞在も明日で終わりである。一緒に滑ったジャポネーゼがフィレンツェへ発てば、ジャンニも寂しくなるのだろう。滑っていれば全く年を感じさせないジャンニも、聞けば今年六十八才になったという。
「おまえたちが帰ってしまうと寂しい」
「だいじょうぶ、色んな国からたくさんスキーしに来るから」
「・・・そうじゃない]
「その人たちと一緒に滑ればいいじゃない」
「・・・そういうことじゃない、去年お前たちがここに寄ったときから、一緒に滑るのを楽しみにしてきたんだ」
「・・・・」
「それなのに、みんな帰ってしまう」
ヴァルディファッサ、ドロミテスーパースキー5番
Val di Fassa e Carezza,Dolomiti :Ialia Jan 2003

ベルヴェデーレのフニヴィア
Funivie Belvedere, Canzaei Val di Fassa 


 ジャンニが一枚の写真を見せてくれた。セピアがかったモノクロームの写真だった。大事にしてきたのだろう。見た瞬間は古い写真なのか、セピアに焼いた新しいものなのか判断がつかなかった。

 スキーの道具やウェアが年代物なので、相当古い写真のようである。そこには二人の男が写っていた。ひとりは精悍な顔つきの日本人。スキーを履きゴーグルをかけているが、眼光鋭い好青年である。その背後に軍装のイタリア人がいて、こちらも若く精悍な男前である。
「これが、誰だかわかるか」
「・・・誰だろう、わからない」
「分からない?・・・イガーヤだよ」
「イガーヤって?・・あの、猪谷千春?」
「そう、オリンピックで銀メダルのイガーヤさ」
「それで、こっちは・・ジャンニ!?」
「そう、二十歳を過ぎたばかりの私だ」

 コルティナで冬季オリンピックが開かれたのは1956年。今から47年前のことだ。この大会で猪谷千春が銀メダルを獲得して以来、日本はメダルから遠ざかっている。アルペン種目、最初で最後のメダリスト猪谷は当時24才だった。

 カラヴィニエーリだったジャンニはその頃21才。ヴァルディファッサの警務隊に配属されていた。オリンピックの期間中、選手の警護を担当することになり、コルティナへ派遣されたのだった。写真は出走前の猪谷とジャンニを、同僚が写したものだという。

 コルティナオリンピック。警護についたトニーザイラーが三冠を獲得し、猪谷千春が銀メダルに輝いた青春の思い出。若かりし日の懐かしい記憶は、写真と共に引き出しにしまわれていたのだった。

 もっと早く日本人のスキーヤーと知りあってでもいれば、この写真の復活も早まったのだろうが、その機会はなかなかやって来なかった。アラッバに、日本人が来ることは滅多にない。セッラ・ロンダの日本人が、時々通り過ぎるだけである。

 先シーズンの1月、探索隊がコルティナを訪れた時、アラッバからセッラ・ロンダのあと、ディエゴの所に立ち寄った。03年のドロミテ探索隊がアラッバに滞在することを伝え、ジャンニに先導役を頼んでおくためである。

 その時から実はジャンニも、探索隊がドロミテに来るのを楽しみにしていたのだ。日本から来るわれわれに見せるため、わざわざ猪谷千春の写真を探してミラノから持ってきたくらいなのだから。
  

ヴァルディファッサ、チャンパックスキー場
Val di Fassa e Carezza,Dolomiti :Ialia Jan 2003


ヴァルディファッサ、チャンパックスキー場
Ciampac, Val di Fassa e Carezza,Dolomiti :Ialia Jan 2003

ヴァルディファッサ、チャンパックスキー場
Ciampac, Val di Fassa e Carezza,Dolomiti :Ialia Jan 2003

 ポールレッスンの競技組を残して、最終日はヴァルディファッサへ遠征することにした。ポルドイ峠を越えて滑り、カナゼイから連絡バスでアルバまで行くのだ。

 午前中かけてチャンパックスキー場を滑り、昼過ぎには再びバスでカムピテッロへ。フニヴィアでコルロデッラへ上がると、セッラ山群とサッソルンゴが正面に見渡せる絶景ポイントに到着する。

 ジャンニは最初から眺めのいい場所を選んで、昼食が取れるように気配りをしてくれている。本人は昼を食べないので、皆が食べたり飲んだりしている間一人で滑ったり、ひなたぼっこしたりしているだけなのに。

 昼飯のあと、このままベルヴェデーレへ戻り、アラッバへ帰るか、セッラ・ロンダの時計回りでヴァルガルデナ、コルフォスコ、コルヴァーラ、アラッバと回るか迷った。時計回りで戻れば、アラッバへ着くのは、日没後となってしまう。そこで希望を聞くと、なんと全員が最後にもう一度セッラ・ロンダをやりたいという。

 かくしてヴァルディファッサへの遠征も、セッラ・ロンダのおまけ付きで無事に終えることができた。全てジャンニのおかげである。今回の探索隊もまたイタリアーノの寛容と慈愛の精神に助けられたわけである。

 親でも兄弟でもないのに、行ってる間中助けて貰ったので、感謝の気持ちに幾ばくかのお礼を渡したいと言うと、そんなことしたら次からは一緒に滑らないと固辞されて、何も渡せなかった。思い残したことと言えば、それだけである。ジャンニが元気に先導してくれるうちに、お礼の品を持って、またドロミテへ行かねばならないということだろう。


カナツェイ〜アルバのスキーバス

サッソルンゴ、アルバの街から

チャンパックのテレキャビン

コルロデッラから見るセッラ山群
Gruppo del Sella Vista da Col Rodella ,Dolomiti

コルロデッラから見るサッソルンゴ
Veduta del Sasso Lungo, Dolomiti :Jan 2003

ヴァルディファッサ、コルロデッラから見るサッソルンゴ
Dolomiti, Sasso Lungo :Jan 2003

コルロデッラサッソルンゴをバックに探索隊
Dolomiti, Sasso Lungo :Jan 2003

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