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「ドロミテの走り方教えます」の巻
ヴァルディファッサ、ドロミィティ、イタリア
Val di Fassa, Dolomiti : 2003 January

アラッバからパッソ・ポルドイへ

 イタリアは遠い。イタリアでもドロミテとなるとなかなか一筋縄ではいかない。幾つもの関門を通過して、ようやくたどり着くことができる。最初の関門は日本からイタリアへの移動である。陸続きではないからイヤでも航空機を利用しなければならない。

 航空機の出発や到着は、天候やメンテナンスや機材繰りなどの理由で、往々にして時間通りにはいかない。アリタリアで働き始め早くも33年の歳月が流れた。ローマで暮らした6年を含め、この間見聞きした運行変更遅延中止は降る星の数ほどにもなる。

 運行中止と決まると、急遽他の航空会社の便に旅客を振り替えることになる。業界ではこれをプロテクションとかプロテクトすると言っている。その時点で他社に空席がなければ、プロテクションなしで、出発は翌日回しとなってしまうことになる。

 一体なんのために準備万端整え、早起きして成田空港目指してやって来たのか。出鼻くじかれ、混乱狼狽的目標喪失同時的茫然自失することになる。次の日まで、成田のホテルに泊まったりしている自分に気付けば、成田詣でなら早起きしなくたってよかったのにと、怒りつつ意気消沈してしまうのだ。

 翻って、自分がイタリアへ行くときはどうであったか。これだけ行ったり来たりしていれば、トラブルに出会う頻度も高いだろうと考えるのが自然である。だが、どうしたわけか成田で、「今日のフライトは遅れてます」とか「エンジン不調で飛べません」だの言われたことがない。

 探索隊を始めてから大幅な遅延に遭遇したのは一回だけ、99年のアラッバ探索隊の帰国の時だった。マルペンサへ着いてカウンターへ行ったら「十時間遅れ」だと宣告されたのだ。詳しくは「ミラノ乗り継ぎ便にはご用心」に書いたので、そちらを見て欲しい。

 探索を終えて帰国するときだったので「マッジョーレ湖に遊びに行けて得した」と思ったくらいだが、出発のときであれば一日棒に振ることになる。自分だけならまだしも、一隊を率いていざ出陣という時だったら、熊に出会ったときのように死んだ振りでもするしかない。

 日頃はしょっちゅう遅れたり飛んでこなかったりするのに、一度も遅れなかったのは、実に幸運なことである。足止めされて一日分の日程を棒に振った方々には申し訳ないが、自分の場合は不思議なくらい強運。こういう時はつい、♪か〜みともにいま〜して〜行〜く道をまも〜り〜♪と思わず歌ってしまうのである。
 

アラッバ、朝の風景
Arabba, Dolomiti Veneto Italia

セッラ山群
Gruppo del Sella, Dolomiti Italia

 幸運の女神が同行するドロミテ探索隊は、遅れもなくミラノへ到着した。17時だったから、かえって定刻より早いくらいである。空港手荷物の取扱に混乱が続いていると聞いていたので、時間がかかると覚悟していた鞄も板も拍子抜けするほどスンナリと出てきてしまう。おかげでマルペンサを走り出したのが18時50分と順調なスタートだった。

 だが順調に走り出せば安心かというと、必ずしもそうでもない。ヴェネツィアやヴェローナなどの大きな都市に行くならアウトストラーダを走るだけなので心配はない。ところが、探索隊の行く所はそうした観光地ではない。400km以上離れたドロミテ山中奥深くなのである。

 どの道を行くかはその日の運転手が決める。問題は運転手が道をよく知っているとは限らないことだ。ミラノからの運転手にはドロミテの山奥など行ったことのない者が大勢いるのである。彼が道の選択を間違えれば、長距離飛行のあと長距離深夜ドライブとなってしまう。

 02年パルマからアルタ・プステリーアへ走ったときなど、途中でマクランのワイン蔵へ寄るのに迷い、その後ブレッサノーネからプステリーア街道でまた迷う。段々「ここは地の果て、世界の終わり」とか、ワケの分からぬことを口走り始め、何度も車を停めて道を聞くので、「こりゃ、ヤバイ」ついに、こちらも降りて一緒に道を聞く羽目になった。

 それでは、運転手が道をよく知っていれば安心か、というとそれも未だ早い。99年アラッバ探索隊では、クルマが途中でエンジントラブルを起こしてしまった。オーラからドロミテ街道に入って暫くして、目を覚ましたら道の脇に車が停まっている。

 近くのバールで水を貰い、オーバーヒートしたエンジンを冷やし、心細い見知らぬ夜更けの街をいくつも走り抜けた。ようやくドロミテ最高点ポルドイ峠にさしかかる頃には夜半も過ぎて、雪が舞い始めるのだった。

 真夜中過ぎて大型バスでポルドイ峠を越えるのは危険極まりない。ガードレールもないツヅラ折りの連続は、左右のいずれかが谷底。落ちればそれこそ命はない。闇に延びるライトに舞うひらひら雪を見つめながら「大型バスでポルドイ峠を越えてはならない」と、深く心に刻み込んだのであった。
 

セッラ山群の回りを滑るセッラ・ロンダ

アラッバから見たセッラ山群
Gruppo del Sella vista dal Arabba

 ヨーロッパ大陸は暮れから荒天が続き、ドロミテ一帯にも大雪が降った。積雪し凍結したポルドイ峠はなんとしても越えたくなかった。調べてみると距離的には遠くなるが、時間的には早い道があることが分かった。

 ヴェローナ→ヴェネツィア→ベッルーノまではアウトストラーダを飛ばして行く。ベッルーノ→アゴールド→チェンチェニゲで右折してチヴェッタ、アッレゲを目指す。チヴェッタのゴンドラ乗り場を右に見たら、道なりにカプリーレまで来れば、アラッバは一時間足らずである。

 ベッルーノまで360km、その先は地の道だが70kmほどである。全行程430km程の道のりだが、ドロミテ街道のように高い峠を越えることがない。時間的にはオーラを回るより早く着けるに違いない。

 このルートで実際に走ってみたら、アラッバ着は夜中の12時50分だった。丁度6時間だが、距離からすれば順調だ。それにしてもドロミテは遠い。成田を出てから20時間。茅ヶ崎からだと、朝の八時半に家を出て、実に24時間もかかったことになる。

 今回の探索隊には、楓山一登が会長を務める小田原のアールベルグスキークラブの会員が多数参加した。中には御殿場線の山北あたりから来た者もいたから、茅ヶ崎より更に一時間以上早く家を出たに違いない。

 ここまではなんとか無事にやって来た。明日からいよいよドロミテを滑り始める。万里を遠しとせず来てくれた、隊員たちの期待がズシリと肩にのしかかる。しかし、今はただひたすら晴天を祈るしかないのであった。


 
ドロミテスキー。アルメンタローラからセッラ山群、どこまでもドロミィティ
Veduta del Gruppo del Sella

チヴェッタではグラッパ各種取りそろえております。

探索隊に参加したアールベルグスキークラブの皆さん


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