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「ドロミテスーパースキー7番アルタ・プステリーア」の巻
ドロミテスーパースキー7番アルタ・プステリーア
Alta Pusteria : 2002 March


 ここに一枚の写真がある。木作りのソファの端に男が座っている。脇に男の子がいて足元には大きな犬がいる。男はきちんとした身なりで蝶ネクタイを締め、スプマンテの入ったグラスを手にしている。

 穏やかな表情の小さな老人であるが、どこか雰囲気に親しみが感じられた。傍らの男の子は4〜5才に見える。男の孫だろうか。この写真を見たとき、ここへ行って男に会って、話をしてみたいと思った。

 男が何者なのかは分からない。アルタ・プステリーアのホテルを探していて見つけた写真なのだ。パークホテル・ソーレ・パラディーゾのインターネットサイトにあったので、ホテルの関係者なのかもしれない。

 ドロミテスーパースキー7番=アルタ・プステリーア。未踏の地の情報は殆どないに等しかった。初めて行く場所は、あらかじめ入手できる情報は限られる。この時も、宿泊地をドッビアーコにするかサンカンディドにするか決めかねていた。

 地図上で見るとどちらもアルタ・プステリーアのスキー場の近くに位置している。ドッビアーコの地名は耳にしたことがあるが、サンカンディドは聞いたことがなかった。そのサンカンディドを宿泊地に選んだのは、この写真を見たからだった。



スキーはしない。日光浴をする。
Sesto Pusteria : 2002 March


ゴンドラでモンテエルモへ
Sesto Pusteria Monte Elmo : 2002 March

 アルタ・プステリーアが属するアルト・アディジェ州は、オーストリアと国境を接している。国境沿いのプステリーア渓谷を街道が東西に走り、東の端にサンカンディド、西の端にブレッサノーネがある。

 位置的にはヴェネツィアから北へ200kmなので、アウトストラーダA27でベッルーノへ向かい、そこからSS51で北上してコルティナを目指せばよい。コルティナからは37kmと、一時間足らずの距離となる。

 ミラノからだと409km。アウトストラーダA4でブレッサノーネまで336km。ブレッサノーネからSS49で東へ73km、ブルニコ→ドッビアーコ→サンカンディドと走ればよい。距離的にはヴェネツィア経由が一番近いが、乗り継ぎを考えるとミラノから走る方が楽かもしれない。

 アルタ・プステリーアのスキー場は、総滑走距離50km、総標高差5,500m。時間あたり輸送能力24,400人。フニヴィア一基、テレキャビン2基、チェアリフト6基、T-バーリフトが18で構成されている。人工降雪機は40kmのピステに敷設されている。

 スキー場は標高1130mから2200mの間に展開していて、三つのエリアに分かれている。サンカンディドのスキー場はバランチだが、ドイツ語ではハウノルドとなっている。この一帯は第一次大戦以前はオーストリア領だったので、日常会話はドイツ語が優勢である。

 サンカンディドから少し南東に、セスト・プステリーアの村がある。セストのスキー場はMonte Elmo=モンテエルモ(2443m)とCroda Rossa=クローダロッサ(2965m)の二つの山麓に造設されている。

 三つのスキー場はそれぞれ少しづつ離れていて、スキーのまま滑り込んではいけない。そのかわり頻繁にバスが連絡しているから、バスは一日券を買った方が安いし便利である。

 最初に全体を把握するために、セストからゴンドラでモンテエルモへ登ってみよう。山頂にゴンドラが着くと、ドロミテ山群の北端が一望できるようになっている。

 眼前にはクローダロッサとチーマ・ウンディチの全景が見渡せる。ここからチェアリフトで2200m地点まで上がれば更に眺望が開け、トレ・チーメやコルティナのクリスタッロも遠望することができる。

 アルタ・プステリーアの特徴は、最大標高差1070mのロングコースを含む、滑りやすいコース設計にあるかもしれない。総滑走距離50kmとイタリアでは小ぶりな方だが、一日中あちらこちらと変化に富んだピステの滑り応えは充分で、ドロミテの景観はを飽きることがない。

 サンカンディドに滞在すれば、アルタ・プステリーア以外のスキー場にも足を伸ばすことができる。プラン・デ・コロネスまで31km。コルティナまで37km、ヴァッレ・イザルコまで71kmの距離だからである。

 ドロミテスーパースキー=1番コルティナ2番プラン・デ・コロネスは無理なく日帰りで楽しめるし、日程的に余裕があれば、少し離れるが10番=ヴァッレ・イザルコにも挑戦してみるといいだろう。

 ドロミテスーパースキーの各スキー場の番号は、それぞれのスキー場がドロミテスーパースキーに加入した順番を表している。アルタ・プステリーアは7番目にドロミテスーパースキーに参加したということになるわけだ。

ちびっ子はここにも


移動式スノウガン


のどかなり、アルタ・プステリーア
Alta Pusteria : 2002 March


 2002年3月、ドロミテは最高の仕上がりで探索隊を迎えてくれた。滞在した5日間の滑走中、コルティナの1日だけは雪に降られたが、あとの日は全て快晴だった。

 好天に恵まれたアルタ・プステリーアは、家族連れで賑わっていた。スキーが学校の教科に入っているので、スキー教師の後ろに付いて滑るヘルメット姿のチビッ子たちがどこへ行っても目立つのだった。

 スキーはしないけど、子供について来る親も沢山いる。そういう親、爺ッちゃん、婆ッちゃん孫どもは、雪だるまの天然テーマパークで遊んだり、眺めのいいレストランで日光浴したり、日がなゆったり休暇を楽しんでいるのだった。

 ドロミテはワインもいいが、滑ったあとのヴァイゼンビアが抜群にうまいと、隣に座った爺ッちゃんが教えてくれた。このビールは小麦で造られているそうで、コクも旨味もあって、これ飲んだら、日本のビールは水みたいと思った。

 2002年は例年になくイタリアの春が早く、陽が高くなるにつれ、雪もゆるんだ。午前中セストで快適なスキーを楽しみ、太陽の動きに合わせて、クローダロッサ、バランチと移動しながら滑った。

 写真の男に会うことを楽しみにしていたが、それは叶わなかった。2年ほど前に亡くなっていたのだ。男の名はオルトナー。パークホテル・ソーレ・パラディーゾの創業者だった。今はあとを継いだ娘のリンダが切り盛りしていた。

 オルトナー氏の傍らにいた子供は、リンダの息子。オルトナーの孫で、今は大学生になっていた。写真は15年ほど前に撮ったもので、ホテルを創業した父を偲ぶためにこの写真を掲げていたのであった。
ヴァイゼンビアが抜群にうまい

ひとり、山に向かってくつろぐ

Monte Baranci は Haunoldとも呼ばれる


Alta Pusteria : 2002 March

Alta Pusteria : 2002 March

Monte Baranci Alta Pusteria : 2002 March



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