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「アラッバから幻のサッソルンゴへ」の巻

 アラッバのスキーパスオフィスの情報によると、セッラロンダは一部だけがクローズしているらしい。実際にはコルヴァーラからヴァルガルデナの間が降雪不足のため滑れないということで、そのほかのスキー場は充分滑走可能だという。

 ドロミテスーパースキー拠点のスキーパスオフィスは常に最新情報を掌握しているので、コースやピステの状況は彼らに聞くのが一番である。言葉が分からなくても行けないところは×マークをして貰えばいいのだから、安全のためにも必ずチェックを入れよう。

 一月九日、アラッバからコルヴァーラへ向かうリフトから見えた牧草地帯ふう雪なしゲレンデに打ちのめされ、がっくりしている暇もなく、一隊は宿の若旦那ディエゴを先頭に、セッラロンダのグリーンコースを反時計回りでコルヴァーラ、ラ・ヴィッラ方面へ進んでいく。

 リフトが高度を得て眺望が開けるようになると、赤茶色ドロマイトの切り立つ岩峰を背景に、雪を抱いたラヴィッラやサンカッシアーノの全貌が見えてくる。陽を受けてきらめく、まばゆいばかりの雪原をまのあたりにすれば、この世のどんな苦労もきれいサッパリ忘れてしまえるのだ。

 ホモサピエンスが、いい思い出だけを記憶にとどめる動物であったのは実によかった。悪いことはどんどん忘れ、いいことしか思い出さないのがつくづくよかった。マルペンサで荷物がなかなか出なかったり、車が途中でオーバーヒートしたなんてことは、ドロミテの息を呑む景観、セッラ山群やマルモラーダ(3342m)、チヴェッタ(3218m)の偉容を前にすれば、消し飛んでしまうのだった。


 百戦錬磨の隊員達へ釈迦に説法、無駄なことはいえ
「長旅で体は自分が思うより疲れています。今日は初日、足慣らしのつもりで、怪我をしないようにゆっくり行きましょう」
滑り出す前には一応そう言って注意をする。ところがである。一本だけ滑ってリフトに乗り、パッソカンポロンゴ=Passo Campo Longoへ下りるところに集合して記念写真を撮っていると、後からもう一人東洋人女性がやって来るではありませんか。

 こんなところで日本人女性に出会うとは、珍しいこともあるものだと一瞬思ったが、そんなはずがない。よく見れば、知らない人どころか、わが探索隊員の根本悦子だったのであります。
「あれれ、どうしたの、今、上がって来たの?」
「そうなの、滑ってるうちに、みんなが見えなくなっちゃって、置いて行かれたと思って斜めに横切って行ったら、前の方にフェンスがあるのに気が付かなくて」
、結局衝突してしまったらしい。おいおい、頼んまっせ。初日ぐらいはピステの真ん中滑って下さいヨ。お願いしますヨ、ホントに。

 でもまあ、滑り出しからいきなり隊員を置き去りにして、行方不明者を出すところであった。こちらも、イケナイ、イケナイと深く反省。それからは隊員の人数確認を一層念入りにするようになったのであった。


 コルヴァーラとコルフォスコは、雪の少ない斜面にはスノーマシンを稼働させコース整備は万全だった。茅野市の楓山一登は早速、日本との比較観察を始め、
「車山では毎年十一月末、全日本スキー連盟の中央研修会が開催されるんですがね」
「は、毎年ですか」
「全国から専門委員が来るんで、十月から気温が下がると、降雪機を稼働させて連日雪を撒いているが、急斜面には雪をつけられない」
「それは、どうしてですか」
「いやあ。なんなのでしょう。降雪機の設置規模の差か、性能の違いか。イタリアではどんな急斜面にも雪を良くつけ圧雪整備してありますねえ」
と感心するのであった。おかげで探索隊が滑りもパノラマも充分に堪能することができたのだから実にラッキーであった。

 滑った後のランチは日光浴しながらテラスでするのがイタリア式。ラザーニャ、ミネストローネ、ポレンタとパスタはなんでもあるし、ドロミテ一帯はドイツ、オーストリアに近いからジャガイモとソーセージ付け合わせやクヌーデルスープなどのドイツ風料理もドイツビールも楽しめるわけだ。

 「KELLEREIGENNOSSENSCHAFTGIRLAN
BOLZANO」
ワインのラベルにも、イタリア語とはとても思えない単語が書いてある。ボルツアーノのワインらしいが発音できない。ディエゴに、
「なんだ、なんだ、なんだ。これはどう読むんだ」
と聞くと、
「ケッレライゲンノイゼンシャフトギルラン
ボルツアーノ」
涼しい顔でシレッと読んでみせる。隣の国と海を隔てる日本と違い、ヨーロッパは地続きなんだなあ。やっぱり。

 ドロミテは高速道路の標識にも「アウトストラーダ」「アウトバーン」と両方が標記されている伊独のバイリンガル圏だ。ホテルの客の大半はドイツ人で、彼らとドイツ語で不自由なく話せるディエゴにすれば、
「ぜんぜーん、難しくないヨ。君たちがしゃべってる日本語の方がよっぽど難しいネ」
となるのは当たり前かもしれない。それから練習することひとしきり、隊員達はなんとか
「ケッレライゲンノイゼンシャフトギルラン
ボルツアーノ」
と声を合わせて言えるようになった。できるようになると嬉しくて、食事の間中何度も合唱しては、笑ってしまうのでありました。


 一月十日。ディエゴの仕事が忙しくなったので、探索隊は独自にヴァルガルデナ方面を滑ることにした。とりあえずセッラロンダオレンジコースを時計回りに、行けるところまで行ってしまおうということだ。本来なら滑って行けるが、途中の斜面に雪がないので、アラッバの教会の前からポルドイ峠の途中までは連絡バスが運行されていた。

 バスが停まったら126番のクアッドに乗って一本滑り、Belvedere=ベルヴェデーレ(2377m)まで登ると、サッソルンゴが良く見える最高の場所である。Belが美しい、vedereは見る。美しい眺めという意味だから当然といえば当然だが、イタリアの山岳地帯で眺めのいい場所にはたいていBelvedereがある。ゲレンデマップにBelvedereを見つけたら、何はさておき登ってみよう。そこにしかないパノラミック・ビユーが君を待っている筈である。

 ヴァルガルデナへ来た前回の97年3月に較べて、設備は各所で更新され、例えばベルヴェデーレからパッソセッラへ向かう二本のリフトもテレキャビンと架け替えられている。探索隊はパッソセッラを目指して、ひたすらLupo Bianco=ルーポ・ビアンコ、Col Rodella=コル・ロデッラのピステを滑る。

 サッソルンゴはこの日、その姿を探索隊の前にはっきりと見せることがついになかった。しかし、視界の晴れ間に一瞬だが垣間見えたサッソルンゴの立ち姿は、幽玄の雰囲気をたたえていて、それはまたそれで夢のようでもあり、幻のようでもあるのだった。




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