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「クールマイユール。ヴァレー・ブランシュ氷河大滑降」の巻、その4
クールマイユール、ヴァレー・ブランシュ氷河へ降り立った
Verso Valee Branche ,Courmayeur Italia : March 2003

ヴァレー・ブランシュ氷河へ
Verso Valee Branche ,Courmayeur Italia : March 2003

「えーい、ヴァレー・ブランシュ〜」
Valee Branche ,Courmayeur Valle d'Aosta Italia : March 2003

 ヴァレー・ブランシュの大雪原が静かに瞬いていた。厖大な新雪が広がる悠久の大氷河に降り立ち、神々の宿る場所へと一行は踏み出したのであった。

 ジャンフランコが先頭を行き、その後を隊員たちが滑り出していく。全員がスタートする頃には隊列は既に長くのびていた。最後に探索隊五回目の堀口尚子がスタートする。
「えーい、ヴァレー・ブランシュ」
未来へと跳躍する気合いがかすかに聞こえた。
「ステファノ、待たせたな」
「ウンにゃ、だいじょうぶ」
「オラもいくぞ」

 写真ばかり撮っていた隊長もようやく滑り出す気になった。隊員の姿は既に小さくなっている。先頭の姿はもう見えない。急いで追いつこうと滑り始めたら、なんと二、三分もしないうちに、いきなり登りになってしまうではありませんか。

 エッチラ、オッチラ登って一息入れながら振り返ると、プンタ・エルブロンナーの避難小屋が小さくなっていた。少々滑って移動したくらいでは、視界の中のデンテ・ジガンテやモンテ・ビアンコの姿はまったく変わらない。人の作るものなどいかにも小さい。

 後続のスキーヤーが登ってくる背後にバラバラッと砕け散る小石が落ちてきた。何かの拍子に岩壁から剥離して落下するのだろう。滑り出しは、あまり岩壁に寄って滑らない方がいいかもしれない。あとは大雪原のど真ん中を行くだけである。

 正面にあったデンテ・ジガンテは、微妙に違う形で右手に見えていた。はるか先にはエギュイ・デ・ミディが小さく鎮座している。アルプスの針峰群が取り囲むヴァレー・ブランシュを静寂の気配が支配していた。


クールマイユール、ヴァレー・ブランシュ氷河へ
Valee Branche ,Courmayeur Italia : March 2003

振り返ると、プンタ・エルブロンナー小屋が小さく

Valee Branche ,Courmayeur Valle d'Aosta Italia

 ヴァレー・ブランシュを一度滑ったことがあると言ったが、それは1987年のことである。三月の初旬に暫く好天が続き、その日も快晴の暖かい日であった。

 最後の降雪から少なくとも十日は過ぎて、無論新雪ではなかった。また、その間に多くのスキーヤーが滑っていたので、既に踏み固められたコースが出来上がっていた。

 危険な場所があると所々でガイドが注意してくれたが、緩やかな斜面からスタートしてシャモニーまで、なんの苦労もなく滑った記憶しか残っていない。

 今回はヴァレー・ブランシュ滑降が第一の目的だったので、晴れたらすかさず挑戦することしか頭になかった。新雪で人の踏み入らぬ場所を真っ先に滑ることになるなんて、滑り始めるまでは考えてもいなかったのだ。

 うかつと言えば迂闊だが、おかげで滑降中は思わぬ苦労の連続であった。神々の宿る雪原には、この世のものとは思えぬパノラマが展開する。しかし、その代償に行く手を阻む大量の新雪との格闘が続くのであった。


右に見えるのがエギュイ・デ・ミディ


アルプスの針峰群が囲むヴァレー・ブランシュ

 ジャンフランコが先頭でラッセルして安全なコースを確保する。隊員たちはひたすらその後ろを辿っていく。少しでもコースを外れるとジャンフランコとステファノの注意が飛ぶ。彼らとしては職業上当然であるが、スキーヤーの動きはかなり制約されてしまう。

 見渡す限りが新雪である。さぞかし爽快
と思うだろうが、クレバスが潜む氷河滑降では、勝手に滑る自由はない。だが命には代えられない。ジャンフランコとステファノが誘導する道を追っていくしかないわけだ。

 一時間ほどもボーゲンと横滑りで進んで行くと、頭上にエギュ・ディ・ミディとプンタ・エルブロンナーを結ぶケーブルが見えてきた。このケーブルは夏の間運行され、冬は休止している。

 夏になると世界中から観光客がこの景観を眺めに押し寄せるそうだが、いったいどのようになってしまうのだろう。この次は絶対にテレキャビンに乗って、空中からヴァレー・ブランシュを眺めてみたいものである。

 見上げるとテレキャビンが四つ浮かんでいる。青空に真っ赤なテレキャビン。その真下をくぐり抜けて更にシャモニーへ向かって滑っていく。

 ケーブルのワイヤーは手前にあるGros Rognan(3,541m)が中継点になって、エギュ・ディ・ミディとへ延びている。このあとやっと小休止したが、昼食の山小屋まで、一時間も滑ることになるのであった。

 休んでからも雪中行が続く。やがて遠くに仏側からの斜面を滑っている人間が小さく見えてきた。フランス側のエギュ・ディ・ミディからヴァレーブランシュへ滑ってくるのに合流する地点なのだ。

 探索隊一行もエギュ・ディ・ミディを左に見てメール・ドゥ・グラス氷河へと入って行く。ゆっくり移動していく氷河のすぐ脇を滑り抜けるのだが、隆起した巨大な雪の塊の迫力に、思わず立ち止まって見とれてしまうのであった。


クールマイユールとエギュイ・デ・ミディを結ぶ空中ケーブル     

やっと小休止

昼食までさらに1時間。氷河の隆起目指していく

 ようやく午後二時少し前に山小屋にたどり着き昼食となったのだが、クールマイユールへ帰るためには、シャモニー発4時40分のバスに乗らねばならない。

 いつもならゆったりのランチタイムもそこそこに、2時40分には登山電車モンタン・ヴェール駅へ向かって、氷河メール・ドゥ・グラスを更に滑る。終盤近くはフランス側からのスキーヤーも合流して、人間世界そのものに戻った。

 かくして、ヴァレー・ブランシュ大滑降18`も無事完走となったのだが、最後にテレキャビン乗り場への、220段もある(野尻久枝が数えた)長い長い階段が待っていて、これがなによりもキツかったのでありました。

 帰国後、激闘を物語るかのように右足親指の爪が剥がれてしまったが、大したことではない。スキー人生で一番の体験はと問われれば、「クールマイユールからのヴァレーブランシュ氷河滑降」と答えられるようになったからである。

 こんな体験は二度とはできないかもしれない。スキーをやっていてよかった。イタリアスキーを続けてきてよかった。心からそう思える、人生最良の一日となったのであった。



氷河の巨大な隆起が迫ってくる

メール・ドゥ・グラス氷河を行く探索隊一行

モンタン・ヴェール駅、シャモニーへの登山電車


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